昭和三十九年十一月二十四日 夜の御理解                     

                                         親に不孝をして神に孝行するそこが恩讐の彼方であり恩讐を乗り
 越えた向こうにになからなければ出けない                    
信心によって助かる救われる境地とはどう言う境地を言うかと言うと、恩讐を越えたもの。
恩讐の彼方にあるのであると言う。また、義理とか人情とかと言ったようなものをまだ感じておる間は、ここを乗り越える事は出来ない。
信心の本当の助かりと救われた境地と言うものは、恩讐を越えたもの。菊地寛の書いた小説の中にあります青の洞門ですか、あれを取材した小説ですね。恩讐の彼方へとこう、それは、おかげを頂いておりましても、まだそこに恩讐を乗り越えていないとするならば、まだ本当の信心のおかげを頂いておるわけじゃない、と。助かっとると言うわけじゃないと言う事。先程、桜井先生達夫婦が見えられて、どうも、こうすっきりとしない気持ちを、まあーこの助かりたいと、すっきりしたいと。
成る程、桜井先生達夫婦が長年、荒戸の教会で修行された、そして向こうの教会の本当の気持ちと言うのは、折角、夫婦とも教師の資格を取られたと言うのにもかかわらず、その教会を持たせようと言う意志が、おありにならなかったということが判った時ですたい、もう、そう言う雰囲気があった時です、いろんな、やはりそこんとこの微妙な、その時分の事、まあー知りませんけれど、兎に角、教会を後にしなければならなかったと。そして、そこで信心も段々薄らいで行って一年間、そして椛目にご縁を頂いて三ケ月間、その椛目との出会いと言ったようなものでも、実に神ながらであったと言うこと。そして、新しい信心の気持ちが開けて、はあー私の助かりは、私共夫婦の助かるのはここだと。
もう、ようやく、ここに時分の助かりの場を見出したところへ、また、親教会からの話があり、それも、まあー干渉のような、干渉されていると言ったような感じもあったんですけれども、よくよく考えて見ると、神様のお働きであると言うこと。もう一遍詫びを入れてくるならば、りすきょうでんの方達が一つほねを折って、そしてというような願いがある事が判ったけれども、所謂、恩讐を乗り越 えると言うことはなかなか難しかった。あん時の事を思うたら、もう兎の角、まあ、詫びを入れて帰るという気持ちはないと。まあ、極端に言うなら、そんな気持ちが、その、神様の働きを感じながら、それを心に感じておられると言う事である。
先程、奥さんがここでお届けされますのに、二、三日前にご神夢を頂いた。丁度、丘とも山ともつかんような所、それも道のない所を一生懸命草を分けて道を求めて、こう、自分の幼な友達と一緒に行きよった。ところが、その幼な友達の方はあんまり道がないもんだから、私は引き返そうと言うて帰られるところ、一人だけそこを乗り越えてられて雑木林の所を通って、その向こうの方にブルトウーザーがずーと整地をしておる所に出られたと言う。そして、そのブルトーザーで整地をされておる所の、場所の向こうの山の向こう側から、裏側から道がこうついるということ。
そこを自分が通ってブルトーザーによって整地されている所に出たところが、福岡の総代さんである今、境先生の所に毎日のようにお参りしておられる横手さんと言う方もそこに来ておられる。あの方もやっぱり椛目にご縁を頂かれてから、桜井先生と現代毎日のようにお参りして、まあ、椛目の信心を聞いておられるわけなんです。所謂、反対側から道がついてきたち。そして、奥さんがそのブルトーザーから、あの整地になっておる所に出られた所にです、頂かれたのが「大坪金光大神」と頂かれたち。            もう、大坪金光大神済みません、有り難うございました、とご祈念するところで目が覚めたち。以来、私はもう、本当に心の中にやるせない時には、大坪金光大神、大坪金光大神と唱え唱えすがり続けておりますと言う。そして、私の心の助かりの場、私共がこれからたち行くためには、大坪金光神に縋らなければと言うその気持ちで一抔のところへ、又荒戸に帰らなければならないと言うような、その事になった時ですたい、けれども、私が申しておりましたように、その兎に角、神様、どう言うような道をつけてくださるのやら判らない。折角、教師の資格を取っておられるのが、それが生きてこないと言う事は、神様に対しても相済まん事であるから、二人の教師の資格を取っておられると言う事だけでも、これをいかす意味相におて、改めてお詫びに出なされなきゃいかん。
言わば、まあー私が一番知っておるのははるえだ先生であるから、して貰いなさいと言うて、そこまでは話がいっとった。ところが、まあーはるえだ先生の話を中心にしてりすきょうでんの方達もです、から、あのまま、たとえば、おしまいになっちゃ桜井先生が気の毒なと言うて、もう皆が同情的になられてですね、そして、その、どうでも、もう一遍荒戸に出て、そして教会を持たせて頂くところまでおかげを頂きなさいと言うて、その力付けて下さるんですから、椛目でもそれを言うておる。そのりすきょうでんの方達もそれを言その奥さんの気持ちだけは解けないわけなんですね。
折角、私共の助かりの場がここに見出されたと思うたら、もう、間もなくつかの間に又、あちらにまた関係をつくって行かなくてはならんと思うただけでも、その、心がやるせがないわけですね。
けれども、神様のこう言うような素晴らしい働きをですたい、ね、その、桜井先生の為に、言わば荒戸の教会が使われ、椛目のお広前が使われておる。私が使われており、ゆうずき先生方も使われておそこからたくさんの難儀な氏子が助かって行くことの為にです、そう言う、もう実に手の込んだ働きを下さって居ると言うこと。
だからその、神様の思いに、働きに応えなければ、私はいけんと今晩申して居ることです。その思いに応えなければ神様に対して相済むまいが。
そこにはもう、椛目もなからなければ福岡もない、言わば、思いもなからなければ恨みもない。それを乗り越えたものでなからにゃいけん。そんな事を思ってからご神前に出らして頂いたらですね、恩讐の彼方へと言う事を頂くんです。はあー、信心とはここだなと思うたです。まあだ恩を感じている間はほんなもんじゃないです。恩やら人情、先ほど古賀先生がそこが義理人情ですなーとこう言われ るけど、義理人情を感じておる間はほんな信心は出けません。それを乗り越えたもの。古賀先生が、桜井先生話してるんです。私は、あの飯塚で修行中、身体を悪くして休んでおりました。ほんに寂しい事ですね。やはり親教会と言うても、やはり他人は他人ですからね、皆周囲は。一人ぽつねんとしてから休んでおるその寂しさと言うか、その焦燥と言うか、兎に角寂しいある日だった。修行生の方達が食事やら運んで下さる、そう言う中に、奥さんがその何か、おつゆか、卵のゆがいたのか何か、それも冷とうなったのを持って来て枕元に来て坐ってから仰る。雪次さん、あんたがん身体が悪いとけんで、あんたが帰ろうごとあれば帰ってもよかよ、と、何偏も何偏も繰り返しおっしゃったち。もう、そん時に何と言う冷たい奥さんじゃろうかと思うてからですね、思うたとこう言う。
言うならば、何年間ち使うだけ使うてから、もう身体が弱うなって動けんようなったら帰ってもよかてなんてん、と言う気持ちなんですね。何か、枕元に何かその、雪さんそれ好きだからとか温かいものの一つもとか、言うようなもので言わなくてですね、持って来ておるのがその、卵じゃあるけれども、もう冷たく冷えてからカツカツになったようなのを持ってきてからその、奥さんがそう言われる。何て冷たい人じゃろかと、まあーその時に、私の心は熊本の方に帰ると言う気になったとこう言う。けれども桜井先生、今から考えて見ると、あれがご神意だった事が判りますとこう言われる。
あの時にもし私があれを、あの時にほんと私は決断がついたんです って。そして、熊本に帰らせて頂いた、椛目の話を頂いた。   言わば、飛んでくる転げるような状態と言うものが、ちゃんと開けておったと言う事です。して見ると、あれは飯塚の親奥さんじゃない、あの向こうに神様の働き、所謂、神愛があったと言う事をです今にして思います桜井先生、と言うてから話してるんです。
そうだなーそれなんだ、でなかったら例えば、飯塚の教会の恩義に対してからでも椛目なんかに来られなかったでしょうね。けれどもそう言うような事が、いわば恩を乗り越えさせたのですね。   私は今日、ご神前に座らせて頂いてから、柏手打ってから思った事は、こん度、親先生の、私の善導寺のですね、控えがないから控えの間を一つ作らせて頂こう、と言うような心がしきりにするんです。そしてそこの中の、もう私のアイデアでその、あー言う風にと色々こう思いよったですね、もう天津祝詞上げよるのも、その柏手打つのも忘れてしもうてから、その事、一生懸命思いよったら、もう声を上げて泣きたいくらい感激を頂きました。
ほんとに、親先生、案外趣味を持たれないお方だから、ほんとに、信心一途なお方だから、もうお茶一つ頂かれんのです。ですから、今度一つ、お茶道具の一つもここに置かせて頂こう、そして、まあ何かこう掛かれられるようなソフャーのような、あそこに据えて、ここにこう親先生と親奥様とお二人だけの居間をひとつ、今度おか頂かしてもらおう。それには、こう、あー思いよったら、だけで私の心がです、もう兎に角、声を上げて泣きたいような感激を感じるのです。そして、私が思うです。 わたしも言うなら、恩讐を越えてからの今日であると言うこと。その先でなからなければ、本当の信心はないと。まーだ、恩義を感じておる間はほんなもんじゃないと。そして、私がいま思っておるような事をです、桜井先生、古賀先生が思うたり感じたりするようになるだろうと。飯塚に対してでも、恩義に対してでも、古賀先生があーもこうもと、出けるようになったら、させて頂けれるような、こういう風な思いがでけるようになった時には、どんなに有り難いことだろうかと。
あーこう言うておるけれどもです、桜井先生がです、福岡の吉木先生が、本当によかったねち、喜んで下さる時代が必ずくるだろうと、それを思うといよいよ何か、所謂、感激させていただくんですね。いよいよ、そこに神愛を感じんわけには参りませんけれども、信心とは、まだ恩義と言うものを感じてる間は、ほんとは良い信心のようであって、良い信心じゃないと言うこと。これが本当だと思ったら場合によっては、そこを初代の桂先生はおっしゃった、親に不孝をして神に孝行してそして後に神に孝行する氏子がある、親に孝行して神に不孝をしそして神に不孝のし続ける、しておる氏子がある、とこうおっしゃる。親に不孝をしてと、神に孝行するとそこが恩讐の彼方であり、恩讐を乗り越えた向こうになからなければ、それが出けないということ。
そこを知らない人達は、あの人は親不孝もうだと、道を忘れとる、みちを間違えておらんか、とこう言うわけなんですけれども、それは言わば、私共は聞いてもそれによって心を動じ、動かすことはでけない。
恩は恩讐それを乗り越えた向こう、私は本当の信心はあり、そこに助かりの心境と言うものが、私はあると思うんですね。                       「おかげ頂きました」